toyama-rouzan's blog

富山勤労者山岳会(略称:富山労山)の山行報告です

鹿島槍ヶ岳 赤岩尾根往復

  • 山行日:2008/12/28〜30
  • メンバー:K大将(リーダー)、ボーダーT(SL)、Yちゃん(食糧)

12/28 魚津〜大町〜鹿島部落〜スキー場車止め〜西俣出合〜赤岩尾根1900mCS


15時前後だったか、1900m付近の尾根上、杉の大木の根元を整地してテン場とした。天候も悪くなく、目標としていた高千穂平は目と鼻の先だったが、この状況ではいたし方ないだろう。ゆるやかな斜面なので整地作業に30分くらいかかった。ちょうど16時、テントにもぐり込むなり、くつろぐ間もなくK、Tの両名は缶ビールと缶チューハイを開けた。自分はといえば、二人に対して申し訳ない気持ちが半分、自分の体の異常に対する不安が半分、酒には目が向かない。はたして明日は大丈夫だろうか。それにしても、あの急な変調はなんだったんだろう。

西俣出合から小さな川の流れを渡って、尾根に取り付いた。その直後、いくらも歩かないうちに息切れが始まった。出だしの急登だったせいもあるが、いつになく胸が苦しい。変だなと感じたが、ものの2、3分歩いているうちにその症状は収まっていった。あとは何事も無く高度を稼いでいった。どちらかといえば順調なペース。ところが、1700〜1800m付近、急に手足が動かなくなってしまった。息も荒く、気がつくと、心臓の鼓動はバクバクと毎分200回を打ちそうな激しさ。喉から心臓が飛び出しそうとはこのことか。しかし、なんの前触れもなく、本当にその変調は急に訪れたのだった。ただ単に苦しいというのではなく、何とも言いようがない不安が全身を襲う。頭を上げれば、目が回り、吐き気もする。とても歩いていられない。そんなこんなで一本とる。大休止後、ゆっくり歩き始めるが、すぐに息が荒くなり、やっぱりダメ。とにかく、自分に何が起こっているのかさっぱりわからない、今の状態が信じられない。これ以上歩ける自信はなく、もっと重篤な症状になってからではどうしようもない。リーダーにその旨を告げ、ビーバーク地を探してもらうことにした。

テン場を整地していうちに、というよりか、テン場と決めた地点に辿りついて直後、気分は急速に回復していき、雪を払ってテントに入ったときにはほぼ平静に戻っていた。頭を振っても痛くないし、呼吸も鼓動も平常値。本当にあれはなんだったんだろうと思うことしきり。しかし、明日の行動のことが気にかかる。テン場は予定地より150mほど低い。往復にして2時間のロスがあるとみていいだろう。目的地まで高差にしてまだ1000mある。1000mのアタック、はたして届くだろうか。天候が崩れればまずむりだろう。そんな思いで頭がいっぱい。なにより、自分の体調に自信がもてない。

Kとは春の西大谷尾根以来、あのときは最高だった。奥大日の雪庇を越え、剱を踏んだのだ。あこがれのルートを踏破できて大満足。Tとは3、4年前の西穂以来か、入会したばかりのまだ得体の知れないTと一夜を過ごした覚えがある。そもそも皆と顔を合わせなくなって久しく、山自体も遠ざかっている。その間、会も変化してきているようだ。特に山スキーの活発さには目を見張るものがある。剱の三つの窓のスキー山行なんぞ、一昔前なら考えられなかったし、思いだにもしなかった。冬の僧ヶ岳、これもスキーで日帰り。ぞっとするよ。自分なら一週間かけて登るもんだと思っていた。それが余裕で達成。奥大日からボードで滑り降りるという。信じられない。夏の沢登り、これも活発。あっちの沢、こっちの沢と出没。当会始まって以来の賑わいとなっている。

「だが、しかし」とTは言う。
「個人山行の集合体ですよ」
続けて、K
「小黒部の谷を遡ったときにはびっくりした、食事を個人個人でとるがぁぜ」
「へぇー」と自分。
「テントの中で鍋をつつくなんてないですよ」

そういえば、会にあるテントの張り綱は取り去られており、端っこにはささくれたビニール紐が垂れているだけ。張り綱を必要とする山域には入らないということか、そんな山行もないということか。仮にテント山行でも食糧は個人装備なのか。二人で行けば別々にテントを張るのか。

「こないだの雪訓はどうなった?」
「誰も参加する人いないから中止です」
「でも次の週には皆で泊まりでスキーに行っているんだろう」
「そうなんですけどね」

たしか秋の雑穀での救助訓練の参加者も数人だったような。それでいて
「県連主催の雪崩講習会には参加する」
「それは本来会としてやるべきだ、会でやったらどうなんだ」
「そうすると県連のに参加するものがいなくなる」
「それは逆だろう」

そういえば
「Kさん、アン時は参ったよ。どうすることも出来なかったです」
「あのとき雪洞で一緒になった連中が見舞いに来てくれた。そのとき、オレだったら、たとえ指一本なくなっても諦めなかった、と言っていた」
「わー、ほんとケー」
「あのあとHさんに聞いたんよ、何で天候が悪くなるのが分っているのに、突っ込んだのかって」

これは初耳だった、無線機が使えなかったことは聞いていたが。それでも、彼らは果敢に挑んだ。その想い、志こそ尊ばれるべきでは。さて、寝るか。

12/29 CS〜高千穂平〜稜線〜冷池小屋〜布引岳〜鹿島槍ヶ岳〜CS


無風快晴。願っても無いほどの上天気。昨日すれ違った女性を含む学生パーティーは、天候が悪く二晩冷池小屋わきで沈殿していたと言っていた。山頂を極めることなく、時間切れで下山となったとのこと。我々はついていた。はたして自分の調子はどうか?なんともない、これならいけるだろう。だが、本当になんともないのだろうか?昨日も突然おかしくなった。しかし、この上天気、登らないてはないだろう。ゆっくりとゆっくりと歩き始めた。二人には悪いが、自分のペースで先に行かせてもらった。トレースはばっちり。高千穂平付近には4張りのテント。

稜線に出ると、いきなり剱の勇姿が目に飛び込んでくる。360度全ての山が見渡せる。だが一際目に付くのはやっぱり剱だろう。ときより強い風が吹く、しかし、これはご愛嬌のようなもの。冷池小屋前の陽だまりでは太陽の恩恵をうけ、暖かい。だが、山頂はまだ遠い。先行パーティーとの差は一時間半ぐらいであろう。やはり昨日の150m差は大きかった。一本とった後、再びゆっくりゆっくりと足を運ばせる。布引付近の稜線は風に飛ばされているせいか、雪がなく、ところどころ地肌が出ている。ふとKに目をやるとなんだか苦しそう。目出帽をかぶり、メガネが飛び出していて、口をパクパクさせているものだから、まるでキンギョのように見えた。どうも体調がかんばしくないらしい。

「ダメやちゃー」

自分はといえば、辛いことは辛いのだが、普通の辛さ。昨日の様な異常はない。それにしても、空身なのにこの足の重さはなんなんだ。

「歳やってことやちゃー」
「そうやのぉ」

布引を越え、最期の登り。これも長く苦しかった。Tは遅れて写真を撮りながらも、あとからすぐに追いついてくる。そのTに追い立てられるようにして、やっとのこと山頂に辿りついた。自分は頂上に立つ標柱に抱きつき、雄たけびをあげる。本当に久しぶりの絶叫。何年も忘れていた達成感。Kはといえば・・・ぶっ倒れている。あいかわらず口をパクパクさせ、まさにまな板の上のキンギョ状態。おもむろに立ち上がるKと固い握手。その後続いてTとも感動の握手。

山座同定をすることもなく、さっさと下山にかかる。天気予報通り妖しげな雲が近付きつつあったが、赤岩尾根との分岐まで来ると、なんとか先がみえてきた。上部細尾根の下降は1ピッチだけ48mのロープをフィックスした。終盤に来て疲れも出始めるころ、安全を期したのだ。ロープ処理後降りてきたKをみると、すっかり落ち着きを取り戻した様子。適度な緊張感が彼のリズムを呼び起こしたのかもしれない。自分もなんともない。満足感と安堵感を抱きながら下る。16時、なんとか明るいうちにテン場に到着できた。Tはややバテ気味のようだが、スローペースで体温が下がったのか。

Tに言わせると、世の中には財閥とそうでないものとの二種類の人種がいるのだそうだ。T自身は後者だという。いくら前向きに努めていても超えられない一線があり、これまでに幾度もそれを感じてきたという。ほんとうにそうか。いつも熱心で、バイタリティーに溢れている姿からはとうていそうは思えない。仕事後アルバイトまでして懸命に働くT。はたからは何に対しても真剣で、人柄もよい好青年に見える。それでも彼なりの思いがあるのだろうか。山への想いも強い。

「Kさん、どっか連れて行ってくださいよ」
「自分で計画してやってみれば」
「誰も乗るもんおらんちゃ」
「でも、ただ誰かに頼むだけではダメだよ」
「お手伝いぐらいは出来ると思うけど」
「そう、そう」
「そうなんやけど」
「とりあえず剱周辺で春の雪訓でもしてみたら」
「山行もいくつかのルートを設定して」
「無理やと思いますけど」
「やってみんにゃ、わからんねか」

やるべきことはちゃんとやる。昔はそんな会だった。

12/30 CS〜下山〜八方の湯「みみずく」〜糸魚川「銭形」〜魚津


穏やかな下山日だ。今回の山行はTのおかげで成功できたようなもの。なんとしても登りたいという強い思いが伝わってきた。アタック日が絶好の天気となったのも彼の一念が通じたのかもしれない。恐るべしTの執念。テクテクと、林道を車止めへと向かう。道すがら、サルの親子に目をやったり、東尾根の取り付きを確認したりする。越年登山を目指すパーティーと声を交わす。明日から天候が崩れるのを承知で入山する彼らの心境はいかに。その中にあって、明らかに年配者と思える4、5人のパーティーとすれ違った。皆、重そうなでかいザックを背負っている。聞くと、
「九州から来ました」
「車で来ました」
「おいくつなんですか」
「私は65歳、先頭に歩いていたのが72歳」

絶句!唖然!

「どこへ行くんですか」
「東尾根、これが4度目の挑戦です」
「5日間の予定です」
「燃料、食糧とも十分に持ってきました」
「神社の石段でトレーニングをやってきたからね」

ザックには束になった細竹がくくりつけてある。その数60本。

いやー、参った。

「あの顔見ましたか、いきいきしとっぜ」
「すごいなー」
「えらい歳に見えたけど、やっぱりそうなんや」

これまでどれだけの修羅場をくぐってきたのだろうか。自信というか、余裕というか、何事にも動ぜないような不思議な雰囲気。このたびの山行、最後に来てガツンと一発もらいました。

T君、頑張っておくれ。Kさん、またどっか行きましょう。

おわり